2021年の夏、ひとつのニュースが静かに広がった。アップルが、iCloudにアップロードされる写真を端末側で照合する仕組みを導入すると発表したのだ。目的は子どもを守ることだった。だが、反応は予想を超えて大きかった。研究者も、プライバシーを守る団体も、ふつうの利用者も、口々に「それは違う」と言った。

日本でiPhoneは、もはや特別な道具ではない。通勤電車のなかで、家族の食卓で、子どもの運動会の観客席で、誰もが当たり前のように写真を撮り、当たり前のようにクラウドへ預けている。だからこのニュースは、遠い国の話ではなかった。「一番プライバシーを大切にしているはずの会社が、自分の写真を見ようとしている」——その事実そのものが、胸の奥をざわつかせた。

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「見ない」と「見られない」は別物だ

ここでいちばん大切な区別がある。問題は、アップルが実際に見たかどうかではない。問題は、アップルに「見ることができる仕組み」があったかどうかだ。

計画は同年9月に延期され、その後、ひっそりと棚上げされた。たしかに、導入はされなかった。だが、技術的にそれが可能だという事実は、どこにも消えていない。端末に照合の仕組みを載せることができれば、その照合対象も、照合するリストも、引っかかる条件も、すべて提供する側が一方的に決められる。今日の目的が立派なものであっても、明日の目的が同じとは限らない。能力が一度存在してしまえば、その使い道の境界は、約束だけに支えられることになる。

セネカの言葉を借りれば、人は他人の善意に自分の平穏を預けてはいけない。善意は変わる。変わらないのは、仕組みだけだ。

クラウドのアルバムは「見る」ためにある

もうひとつ、見落とされがちな事実がある。クラウドの写真サービスは、もともとあなたの写真を「理解する」ためにできている。人物で分け、場所で分け、出来事で並べ替える。便利さの裏側で、写真は読まれ、分類され、整理されている。「見られる」ことは、事故ではない。機能そのものなのだ。

だから「今回は見ません」という約束は、あまり慰めにならない。見ようと思えば見られる構造のうえに、「見ません」という言葉が載っているだけだからだ。約束は、経営方針ひとつで書き換わる。構造は、そう簡単には書き換わらない。

日本人は「見られる」ことに対して、独特の慎みを持っている。はっきり文句を言うよりも、まず黙って距離を取る。写真をクラウドに上げるのをやめるのではなく、なんとなく「これは上げないでおこう」と自分で線を引く。だが、その線引きは、毎日の生活のなかで少しずつすり減っていく。便利さに押されて、いつのまにか境界が曖昧になる。慎み深さだけでは、構造には勝てない。

ほかの手段も、同じ穴を持っている

クラウドだけが問題なのではない。ふだん頼っている手段を、ひとつずつ見てみよう。

スマートフォン本体にだけ置いておく方法。だが、スマホは修理に出すし、機種変更で手放すし、クラウドとの同期が知らないうちにオンになっていることもある。外付けハードディスクに移す方法。だが、一台だけでは失くす不安が残るし、家に置いておけば家族の目や来客の目に触れる可能性もある。貸金庫に預ける方法。だが、それは「取り出しにくい」だけで、「見られない」ことを保証する仕組みではない。

どれも、部分的には役に立つ。だが、どれも「誰にも見られない」という一点において、決定的な穴を持っている。穴の形は違うが、穴があるという点では同じだ。

本当に見られないものは、どうあるべきか

答えは、意外なほど素朴だ。本当に誰にも見られたくないものは、そもそも「見られる場所」に置かないことだ。ネットワークにつながらない媒体に置く。誰かが遠くから走査することも、同期で吸い上げることも、物理的にできない場所に置く。

そして、その媒体そのものを、人の手と手順で守る。受け取ったら番号を振り、封印をし、二人で確認し、専門の保管に委ねる。保管中の確認は、デフォルトは半年ごとの封印・外観の目視確認と写真記録、非接触、詳細な確認は顧客の書面によるオプトインのみ。開けないこと、触らないこと自体が、手順として決まっている。

ここで大切なのは、これは技術の話ではないということだ。暗号化の方式をひとつ挙げることはできる(※暗号化は、媒体そのものが読めない状態にするための土台にすぎない)。だが、売り物は技術ではない。売り物は、「見られない」ことを人の約束ではなく、手順と物理的な構造で支えることだ。

約束ではなく、構造に預ける

アップルの一件が教えてくれたのは、皮肉なことに、こういうことだ。いちばん信頼していた会社でさえ、「見ることができる」側に立つことがある。だから、信頼は「この会社なら見ないだろう」という期待に置くのではなく、「この仕組みなら見ることができない」という確かさに置くべきだ。

アレントは、自由とは他人の目から逃れる余白のなかで育つと言った。誰にも見られていないと知っている時間こそ、人は自分らしくいられる。その余白を守るのは、善意の約束ではない。誰の手も届かない場所と、開けないことを決めた手順だ。

あなたの写真のなかに、誰にも見られたくないものがあるなら、その判断は正しい。恥ずかしいからではない。見られるかどうかを、他人の約束に委ねたくないからだ。その気持ちに応える方法は、ひとつしかない。見られない場所に、見られない手順で、預けることだ。