押し入れの上の段。もう何年も開けていない段ボール箱がある。中には、ラベルにマジックで日付が書かれたビデオテープが、きちんと並んでいる。子どもの運動会、家族旅行、正月の食卓。――「いつか、デジタルにしておこう」。そう思ったのは、もう何年前のことだったろうか。

その「いつか」は、テープにとっては待ってくれない時間だった。

動画 · 29秒

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置いておくことは、保存することではない

まず、静かな事実から始めよう。VHSテープの寿命は、業界のコンセンサスとして10年から25年ほどとされている。磁性体は時間とともに劣化し、湿気やカビもまた、人の都合とは関係なく進む。つまりテープは、「いつか壊れるかもしれないもの」ではない。「何年かすれば壊れるもの」なのだ。

ここに、私たちが長く抱いてきた誤解がある。「置いてある=残っている」という思い込みだ。箱の中は見た目が変わらない。だから大丈夫な気がする。だが、磁気の記録は見た目ではわからないところで、少しずつ薄くなっている。セネカは、時間は私たちが思っている以上に速く、そして取り返しがつかないものだと言った。テープの劣化は、まさにその言葉どおりの、音もなく進む時間の仕事である。

押し入れのテープは、あなたを責めていない。ただ、待ってはくれない。それだけだ。

転写は、救出の半分にすぎない

「じゃあ、転写すればいいじゃないか」。そのとおりだ。世の中にはビデオテープの転写サービスが当たり前にあり、多くの家庭がそれを利用している。転写そのものは、確かに必要な一歩だ。

だが、ここで立ち止まって考えてほしい。転写は、救出の半分にすぎない。転写したあとのデジタルファイルは、どこへ行くのか。外付けハードディスクの片隅、古いパソコンの中、クラウドのどこかのフォルダ。そうして、転写したこと自体を忘れてしまう。――「掃いて、忘れる」。これが、第二の散らかりの始まりである。

しかも、もう一つの死角がある。再生する機械そのものが、世の中から消えつつあることだ。テープは残っていても、まともに読み取れるデッキが手元になければ、それはもう観られないものと同じだ。テープが生きていても、機械が死ねば、記録は閉ざされる。保存というのは、媒体だけの問題ではなく、媒体と機械と保管の連鎖全体の問題なのだ。

身近な手段を、ひとつずつ見直してみる

転写したあとの行き先として、私たちがよく選ぶ手段にも、それぞれ弱さがある。

外付けハードディスクは一台きりでは心もとないし、壊れるか失くすかすればそれで終わりだ。クラウドのアルバムやストレージは便利だが、そこに置いたものは他人のサーバーにあり、見られる可能性や、取り上げられる可能性を、自分の手で完全にコントロールすることはできない。NASは家の中にあるぶん安心に見えるが、ネットワークにつながっているかぎり、別の種類の心配がついて回る。家のどこかに隠しておくという方法は、結局、誰かが見つけるか、本人が忘れるかで終わることが多い。

どれも、悪い手段ではない。だが、昭和や平成の家庭ビデオが持っていたような重み――家族が集まった時間そのもの――を、長い年月、正式に扱い続けるための答えにはなっていない。エピクロスが言うように、ほんとうの安心は、ものを増やすことではなく、不安の種を一つずつ取り除くことから生まれる。転写したファイルをあちこちに散らかしたままにしておくことは、不安の種を、形を変えて残しておくことにほかならない。

価値は「転写すること」ではなく、「正式に扱われること」だ

ここで価格の話をするつもりはない。この話の中心は、お金ではなく、扱い方だ。

家族の記録にふさわしい扱いとは何か。それは、転写して終わりにするのではなく、転写したあとも、誰かが責任を持って見守り続けることだ。転写したデジタルファイルが、番号で管理され、封印され、二人の目で確認され、専任の人間に保管される。そういう「正式な扱い」こそが、記録をただのファイルから、家族のものへと変える。

「救い出して終わり」ではない。「救い出して、ずっと預かる」。その二つがそろって初めて、記録は次の世代へ渡るものになる。誰かが死ぬため、ではない。生きている今、家族の時間をきちんと扱うためだ。押し入れの箱を「いつか」のままにしておくことは、家族の時間を「いつか」のままにしておくことでもある。

結論はひとつだけ:死ぬ前に手を打ち、転写したあとも預け続ける

では、何をすればよいのか。答えは二段構えだ。まず、テープが読めなくなる前に転写する。そして、転写したファイルを、散らかさず、正式な手順で保管する。媒体は二つ用意し、別々の場所に置く。番号を振り、封印し、二人で確認し、専任の人間が保管する。そういう人の手による手順に、任せるのだ。

保管のあいだ、媒体には触れない。半年ごとに、封印と外観を目で確かめ、写真に記録する。それがデフォルトの扱いだ。それ以上に踏み込んだ確認が必要な場合は、あなたの書面による了解があって初めて行われる。開けられることのない封印こそが、「誰も見ていないし、誰も触っていない」という約束の形である。

押し入れの上の段を、今日、開けてみてほしい。テープはまだそこにある。だが、それは永遠にそこにあるのではない。時間は交渉しない。だからこそ、手を打つのは「いつか」ではなく、今日である。そして手を打ったあとは、その先を誰かに任せて、あなたはもう気にしなくてよい。それが、家族の記録に対する、ほんとうに正式な扱いだと思う。